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生まれも育ちも左京区です   髙田祥弘2017.12

皆さまご存知かと思いますが、吉村建築事務所は京都市左京区に本社を構えております。

 

そんな左京区ですが、実は私は生まれも育ちも、そして現在の住まいも左京区という生粋の左京区っ子です。(大学はちょっと遠出しましたけど)

実家からも会社は近く、また母校も会社から徒歩10分程度とずーっと狭いエリアで暮らしております。

 

小学生のころは夏になると毎日のように鴨川で泳いだり、魚の手づかみをしたりする日々。そして冬になると橋の下に氷柱ができていて、ポキッと折って遊んだりした日々。

最近ではそんな少年もほとんど見ないし、氷柱なんてできない気候になったようでなんだか残念です。

 

中学生のころは毎日のように部活が終わって帰宅するとすぐに出発して動物園裏の琵琶湖疎水へ行き、仲間とバス釣りをする日々。土曜日になると早朝から仲間と大文字山に登ってサバゲーもしたな~。結果、学校で怒られたけど。

最近ではそんな少年もほとんど見なくなりました。なんだか残念です。当時はブームもあったのかたくさんの少年が所狭しと並んで釣りをしていたな~。

 

こんなことを言うと左京区以外の地域の人に怒られるかもしれないですけど、改めて左京区は京都の中でも「山紫水明の町」という言葉がぴったりくるように感じます。

 

そこにプラスして大人になって気が付きましたが左京区には哲学の道、南禅寺、永観堂、銀閣寺、平安神宮、琵琶湖疎水、京都市動物園、京都市美術館、三千院、下鴨神社、真如堂、詩仙堂、曼殊院、岩倉実相院、貴船神社、鞍馬寺などなど、まぁ観光の名所がたくさんあります。

 

弊社がそんな素晴らしい環境に囲まれているというのは、この地を選んだ先代に感謝です。

弊社にお越しの際は少しお時間の余裕を見て左京区を散策されることをお勧めします。

 

さて話は変わりますが、本年度で弊社はひっそりと創立70年を迎えさせていただきました。

先代である私の祖父は昭和22年4月に自立するまで住宅営団大阪支所に職を奉じでいました。昭和20年の終戦を契機に残務整理とともに解散し、昭和22年3月に新しく設けられた戦災復興院への転任勧告を受けました。しかし、転任の意志はなく、親友の建設会社で仕事を共にする決心を固めていました。ところが土壇場で若いころからの憧れの的であった建築事務所の自営に踏み切ったそうです。

 

そこから黎明期、上昇期、躍進期、拡充期、社長退任の昭和58年7月の転換期まで「用を第一義的に考え、次に社会的領域に考慮を払い、自己主張はこれらを満たし得て初めて達成されるべきであるとするから、奇をてらうことなく、美の表現をしてこそ真の設計者である」という信念のもとで弊社をけん引してきました。

 

さらにそれから30年余り、先代の思いを現在の代表取締役会長の吉村光弘が引き継ぎ現在に至ります。

 

この30年で業務エリアも全国へと拡大し、事務所も東京・福岡に構えるに至りました。

時代背景も変わり、設計に於いても手書きからCADへと変わり、CADもまた2Dから3Dへと目まぐるしく技術が進歩する今日。ITの進歩とともに10年後に無くなる業種などが謳われる今日。駄菓子屋が無くなり、自然の中で遊ぶ少年の減ったのも分かる気がします。しかし、設計の仕事はどこまで行っても「人対人」です。お施主様の想いを形にするためにはITだけではどうにもなりません。

100年企業の仲間入りを夢見て、そして堅実に目の前のことをコツコツと感謝の思いを持って社員一同邁進して参りますので引き続き皆様のご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 

最後に左京区は良いところですよ。

お近くへお越しの際はぜひ弊社にもお立ち寄りください。

髙田祥弘