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『詩吟と関わって』 富田健治2021.05

詩吟に関わって去年の5月で丸12年がたちます。詩吟とは何かも知らず、漢詩にも興味なく、古典文学もチンプンカンプンの私が詩吟を習い始めたのは『落語』のためでした。
落語を演じて楽しむ趣味に高じて高座にあがることで「克服しなくては」と思ったのは自分の声の通りの悪さ、小ささ。そんな時、詩吟をやれば複式呼吸で声を自在に扱えるようになるし、大きな声もでるようになる、と聞ぃたり、勧められたりしたので詩吟を始めました。ところが、そぉ簡単には声が変わるはずがありません。腹式呼吸はなんぼ教えてもらっても要領が分からず、ただ大きい声を出すように稽古することしか出来ません。ましてや詩の意味を考えるとか、感情を込めるとかなんて中々、しかも発表会等ではたった2分間の間で四行の詩(参照に添付してますのが、詩吟の楽譜ともいえるもので、この詩と記号で2分間で吟ずるのです)を暗唱して間違わずに、忘れず吟ずることさえままなりません。

何回目かの詩吟の昇段試験(年に1回)の時、絶句(詩吟の言葉が出てこない)して黙って舞台を降りざるをえない経験もしました。情けないやら恥ずかしいやら、そんな自分に腹が立ちました。

今でも、詩吟はそぉ好きではないですが、稽古時、発表会等で思い切り大きい声をだしてもいい場所があるのが救いです。声を自由に操り、落語を聞ぃて頂くお客さんに、より頭で想像する世界を広げられるような噺方ができるよう、もう少し詩吟は続けようと思っていました矢先、このコロナ騒。詩吟のように大勢の前で大きい声で発生するようなことはしてはいけない世の中になりました。小声では詩吟の稽古にならず、去年末に一応詩吟はやめることにしました。誰もいない森の中で詩吟をする機会があればやってみよぉかなと思ってます。