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1995年の朝礼から   中原春生2018.05

 吉村建築事務所では朝礼の際に所員が短い話を行ってきました。当初は毎週で、途中からは月に2回。話す内容は自由。昔の自分の記録を見ていると1995年の朝礼でパソコンの話をしています。

 

 1995年というのはWindows95が出た年です。1983年にPC9801というパソコンが登場してから10年程度経過しています。個人的には1988年にPC98-RX2というNECのパソコンを初めて購入しています。HD(ハードディスク)容量が20MBか40MBでした。1993年にはIBMのthinkpad220というノートパソコンを購入していますが、このHD容量は80MBでした。

現在のパソコンではHD容量は500GBとかです。80MBは0.08GBですので、6250倍の容量です。20MBとか80MBの中にMSDOSというOSとデータの保存をしていたので、今から考えると不思議です。

 

朝礼の原稿を見ていると、まずパソコンとワープロの歴史を話しています。会社でも当初和文タイプライターという途方もなく大きな機械で文章を印刷していた時代が過ぎ、ワープロに移行しています。パソコンが試験的に入ってきたのは1988年ですが、CADを触りだしたのは1991年頃です。京都市役所に行っても、各デスクに小型のワープロが置かれていたのを記憶しています。パソコンのOSがMSDOSからWindows95に変わっていく時期です。個人的には1991年頃担当していた病院の現場へ3kg程のワープロを持参して重かったのを記憶しています。

 

朝礼では次にマルティメディアの話をしています。理想ばかり高いわりに機械の性能が低い状況から、徐々に機械の性能やネットワークの性能が向上してきて、文字や数字くらいであったパソコン上で画像、映像、音声等が扱えるようになってきた状況を話しています。ビジネスとしてのネットショップ等も開始されてきていました。社内的には社内LAN等もこの後1997年に整備します。

 

朝礼では最後に、インターネットやパソコン通信の話をしています。現在当たり前のウエブプラウザ(インタネットエクスプローラー等)ですが、最初のMOSAICというプラウ座が1993年で、インタネットエクスプローラーがWindowsに同梱されてようやく広まってきたところです。ただ、1995年当時は、パソコン通信の全盛でした。電話料金とパソコン通信代金を払い接続していました。ニフティーサーブにはフォーラムが300以上あり、その建築フォーラムの中でJW-CADが登場し成長しました。吉村は同じ建築フォーラムの中でもう少し早く登場していたDynaCADを使用開始していました。1995年に起きた阪神・淡路大震災ではこのパソコン通信が大活躍しています。

 

現在は2018年で23年経過しています。手元のiPhoneですら、128GBの容量があります。

昔は電話とFAXと手書きの設計図で仕事をしていたのが、ドラフターはなくなり、パソコンなどが大活躍しています。WORD、EXCEL、CADが活躍し、個人アドレスのMAILが24時間動き回り、多量に捨てていた仕事の資料がPDF化で整理されています。会議もGoogle ハングアウトやSKIPEによる会議や、共用のHDによる情報の共有なども進んでいます。

 

個人的なお気に入りのソフトは、google keepやgoogle カレンダー等で、パソコンやスマホを横断して利用しています。また、昔の「知子の情報」に近い、「外部記憶DB」というソフトをワープロ代わりに利用しています。audible、kindle、amazon music等も多用しています。カメラの役割はスマホで代用し、パソコン通信はなくなりましたが、ホームページやfacebookページなど個人やグループで大活躍しています。

 

対面の言葉や動作や表情によるコミュニケーションは、こういった補助的なITに関わらず前にもまして、必要になってきていると思います。いろいろな機会を利用してこういった方面の訓練を受けたりしていますが、なかなか向上はしません。機械に増して人間の無意識の世界は深く広いように思います。

中原春生